この始まりが運命か偶然か。



そんな事はどうでもいい。



『Queen of Eden』


 その街は楽園だった。
善良な世間一般の人々には敬遠され、闇と欲を知る人間のみがそこに溢れている。
所謂裏社会とでも言うべきそこは快楽と堕落と血と金と性とが罷り通り、全てにおいてただ純粋なる力が支配するべきだった。
だが今この街の頂点に立つと言う男は、金とコネとで空いていた王座の隙間に潜り込んだだけの小者であり、支配者として相応しく無い事は街に住む誰もが見ても明らかだと言う。
支配は万全ではなく、かつての裏の掟とも言うべき体制は退廃しただただ無秩序に荒れるだけの楽園に集う人々は不満を持ちつつも、かと言って男に代わる王に相応しい者もいない事もあり表立った反抗を見せる者はいなかった。
ただ三人を除いては。





【PM8:00】

 音楽はけたたましく鳴り響き、目まぐるしく変わる光の渦の中で若い男女が狂ったように身体を揺する。
それは最早踊りなどといった崇高なものではなく、日々積み重なっていく鬱積を振るい落とそうと足掻いてるようにしか見えない。
その広いホールの外れに、グラスを片手に壁に身体を預け、踊り狂う人々に舌打ちしながら退屈そうに溜息を吐いた男がいた。
無造作に跳ねた赤い髪が人目を引くが、僅かにでも興味を込めた視線を向けようものなら深い緑色の瞳が鋭く射抜いて来るだろう。
無駄に顔立ち良いだけに、何も知らない女達が寄って来るのを煩わしく思う。
その男を知る者は、そんな命知らずな事をと内心哀れにも思うに違いない。
男はこのクラブを中心に、その周辺に縄張りを構える荒れた少年達を図らずも束ねるリーダー的な存在。
クールな外見に似合わない喧嘩っ早さと、それに伴う腕っぷしの強さとが相まって自然と逆らう者達がいなくなっていた。
整った顔立ちを常に顰め、冷たく鋭い目で睨み付けるように相手を見るのはすでに癖になっているのだろう。

「エンジってば、またそんな顔してさ。女の子達怯えちゃってるよ?」

エンジ、と呼ばれた赤髪の男が隣を見る。
自分と同じようにグラスを持つ少し小柄なメガネの少年が、ニコニコと笑みを浮かべながら壁に凭れてきた。
見た目の印象はエンジとは正反対で、人好きのしそうな柔和な顔立ちと玻璃越しに見せる穏かな瞳の少年は明るい茶色に染めた髪を掻き上げるのが癖だった。

「随分機嫌悪そうだね?また何かあった?」

「・・・・王の使者とか言う奴らがな」

短く答えただけでも彼には伝わったらしく、グラスに注がれた透明な炭酸を軽く揺らしながら笑みを苦笑に変える。

「また来たんだ?で、どうしたのさ」

「いつも通りさ」

再び短い答え。
二人の会話はそれで十分のようだ。
エンジは眉間に刻んだ皺を深め、手に持つグラスの中の琥珀色のアルコールを一気に呷る。
ツン、と鼻腔を抜けるアルコール臭も今は苛立つ心の安定剤にはなってくれない。

「何であんな男がこの 楽園 (エデン) の王なんだろうね?大した力も無い、あるのは金だけなのに」

エンジが言わんとした事を、少年は先立って言葉に出す。
それが耳に届き、顰めた眉を僅かに上げて視線を少年からホールに戻した。
相変わらず踊りとも言えない踊りを飽きる事無く繰り返す彼らも、もしかしたら同じ思いを抱えているのかもしれない。
それほどまでにこの街の現状は荒れたものになっているのだ。
楽園 (エデン) には 聖域 (サンクチュアリ) と呼ばれる館があり、そこに入れた者だけがこの街を支配するのが常だった。
だが、現在 (キング) と呼ばれる男はもちろん先代の王以来その館へ足を踏み入れる事が出来た者はいない。
その混乱故に不適格者がその座に着き、一つであった 楽園 (エデン) は東西南北とそれぞれに独立した支配体制になってしまっていた。
自分自身公言はしていないものの、実質的に 南の楽園 (サウス・エデン) の頂点に立つエンジの元には、現王から事ある毎に自分の支配に入るよう命令とも言うべき要請が来る。
時には金をちらつかせ、時には数に頼んで屈服させようと必死のようだが、エンジはそれを悉く跳ね除け踏み付けてきた。
元より他人の指図を受ける事を嫌う性格であり、その相手が金と欲とで肥えて腐りきった小者である事が何よりもエンジを苛立たせる。
だが、自分が王と認めようと思える者もいない。
所詮は無い物ねだりなのだと、諦めにも似た空しさに再び深い溜息を吐いた。

「ったく・・・・・退屈だな、西の 白い破壊者 (ホワイト・ブレイカー) さんよ?」

「やめてよね、その言い方。僕は破壊が好きな訳じゃないんだから・・・いつも結果としてそうなるだけ。名前で呼んでよ」

「同感だな、美紗緒」

それっきり、二人は口を閉ざし暴れる光の渦を見つめた。





【1時間前・PM7:00】

 周りの薄汚れたビルとは趣の違う、重厚な扉を見上げる少女が一人。
その奥の館は暗く、人の気配は全く無いにも関わらず荒れ果てた様子は無い。
少女の束ねられた長い髪は、風に揺れる度闇に溶け込む程の黒。
同じ色の瞳は館を見据えるように細められていた。
彼女を見た者は、漆黒の絵画のようなその光景に魅入られていただろう。
館の扉は堅く閉ざされているように見え、少しばかり押しても引いても動かないかもしれない。
仮に扉が開いたとしても、こんなにも暗い館の中を何の案内も無く目的の場所に着くのは不可能だろう。
少女は一度館から目を離し、手に持つメモを眺めながらそれを書いてくれた友人の言葉を思い出した。





【前日・PM5:30】

「貴女なら、この街の支配者に相応しいかもしれないわね」

  東の楽園 (イースト・エデン) に怪しげな薬屋を開く友人が唐突に告げた。
その顔を振り仰いで見ても、顔の右半分を仮面で隠したその表情の真意は常に読み取れない。
出会った頃から変わらないソレは、彼女には寧ろ好ましかった。
表情を隠し、姿を偽り、性別さえも曖昧にしたこの友人は本心を見せなくとも言う事は往々にして信じるに値する事を知っている。
不思議な程に信頼出来る友人がそれ程までに隠すモノや理由を知ろうとは思わない。
尋ねれば或いは教えてくれるかもしれないが、それは恐らく自分達の仲には関係の無いものだろう。
薬を扱うには細く綺麗な、それでも華奢ではない指が黒い自分の髪を滑り形を整えていく様を向き直した視線の先にある鏡越しに眺めた。
その目に先を促されている事を知り、彼は言葉を続ける。

「この街には新しい支配者が必要なの。今の (キング) を見ていれば分かるわ・・・でも、他に適格者もいなかったから誰も何も言えない」

「それが、私と何の関係がある?」

鏡越しに交わす会話に、彼は穏かに微笑む。
片方だけしか見えないその優しい瞳が、少なからず心を落ち着かせてくれる。

「この街を支配するのは、支配欲を持たない者だと言われているの。ただそこに有りながら、それでも絶対的な存在」

「意味分からないよ」

「そうね。でも、私にはそれが貴女のような気がするだけ。それに・・・」

「それに?」

説明を一旦切った彼は、少女の髪を高く結い上げ一つに纏めた髪の塊に簪を通してニコリと笑った。
シャランと澄んだ音を立てる簪の飾りに、少女は懐かしく愛おしい者を見るかのように目を細める。

「それに、何?」

整えてもらった髪形を確認し満足げに頷くと、少女は再び同じ質問を繰り返す。
彼は使い終わった道具を片付けながら、少しの間沈黙を続ける。
カチャカチャと部屋に響く音に耳を傾けながらその手元を見つめ、片付けが終わった頃合を見計らって少女は友人の名を呼んだ。

「八潮」

「その屋敷に入れた者は、一番会いたい人に会えるそうよ」

道具を片付けて一息吐いた友人・八潮は、やはり鏡越しに優しく微笑んでいた。
一番会いたい人に会える。
それを聞いた少女は、その瞳から逃れるように視線を落として目を閉じた。
それは思案と言うより戸惑いの顔。

「行ってみる価値はあるんじゃない?」

そっと頬を撫でる手に、この友人には自分の事は見通されているのだと気付く。
それは少し悔しいものがあると思いながら、少女は小さく頷いた。





【PM7:12】

 少女は暫く思案して、その扉に手を置いた。
もしも入れたのなら目的を果たすし、入れないのならそれはそれでいい。
この街の支配に興味は無いが、もしも本当に会いたい人に会えるのならば会いに行きたい。
ただそれだけを思い、扉を押そうと僅かに力を込めた瞬間。

ギィッ・・・・・

「えっ・・・」

あんなにも重くて堅そうに閉ざされていた筈の扉が、少し軋んだ音を立てて開き始めた。
しかも、自分が軽く押した為では無く、まるで中から誰かが引いてくれたように軽く開いていく。
もちろん、その奥には誰もいないのだが。

「・・・・・・・・」

少女は開いた扉から館の敷地内に踏み出す。
躊躇いなど一欠けらも無い、まるで自分が元々住んでいたかのようにごく自然に中を進んで行った。
この館の見取り図など見たことは無かった。
むしろ存在を知ったのも昨日が初めての筈なのに、何処に何があるのか何処へ進めば目的の場所に行けるのかが何故か頭に入ってくるのだ。
まるで誰かが手招きをしているような感覚に陥る。
それは、この館そのものなのかもしれない。
窓から差し込む月明かりだけを光源にしているにも関わらず、館の内装はハッキリと見えた。
外から見ていたよりもずっと長く続く廊下を静かに歩き続けると、やがて外へと続く大きな窓に辿り着く。
窓に鍵は掛かっておらず、軽く押せば大きく開いた。
そこから続く先は、広い中庭のようだ。
と、その真ん中に誰かが立っているのが見え、少女は足を止める。
月明かりの下に白く浮かび上がるその人影は、高い台の上で跪き胸の前で両手を合わせて祈りを捧げているようだった。

「・・・・・誰・・・・」

思わず少女が呟いても、人影は微動だにしない。
警戒しながら、足音を立てないようにそっと近づく。

「・・・・あれ・・・?」

その人影は、白い石像だった。
天使や女神をイメージして作られたのだろうそれは、頭を深く下げ穏かな微笑を浮かべて祈っている。
作者が有名か無名かは少女に知る由も無いが、遠目に本物の人間だと錯覚させる程にはよく出来た像だ。

「・・・・・・!」

その女神の像の顔を覗き込み、少女は思わず息を呑む。
ヨロリとよろけるように後退ると、その女神の跪く足元の台に小さな扉がある事に気付いた。
僅かに震える手で扉を開け、中に入っている四つの包みを開く。

「・・・・・石?宝石・・・原石か・・?」

それは四色の輝く石の塊だった。
一つが掌一杯に乗る程の大きさの石が四つ、其々に黒・白・赤・青の透き通る色身を帯びている。
確か、八潮が言っていたような気がする。
中庭に館が招いた証がある、と。

「これが、その証・・・」

少女は石を改めて包み直し、胸に抱く。
そして、再び女神像を見上げて小さく呟いた。

「・・・・姉さん・・・・・」





【2日後・PM6:48】

「エンジさん、話聞きました?」

 自分の顔を見るなり話しかけてくるのは、以前からよくこのクラブに出入りしている少年だった。
名前はよく覚えてないが顔は覚えている気がする。

「話?」

(キング) が倒されたって話ですよ!てか、皆その話題で持ち切りですって!!」

「あぁ・・・」

確か、今日はあちこちでそんな話をしていたのを思い出し、エンジはいつものように顔を顰めた。
そんな話を聞かされた所で、彼には何の興味も沸かない。
力の無い男が仮初の王位を落とされたのが、それ程大事件なのだろうかと思う。
どうせ後釜に座った者も、その男と同じ金の力でその座を奪ったのだろうから。

「別に、んな大騒ぎする事でもねぇだろ」

「いや、それがそうじゃないから大騒ぎなんですよ!」

興奮した様に捲くし立てた少年が、唾をも飛ばしながら大声で食い下がる。
顔に飛んできそうになったのを寸でで逸らし、ジロリと睨み付けるエンジの表情を見て少年は慌てて声のトーンを落とした。
別に威嚇したつもりなど彼には無かったが、少し静かに話してくれるに越した事は無い。

「で、何がそうじゃないって?」

見ても分かる程に小さく縮こまってしまった少年に、少し脅しすぎたかと思いつつも先を促す。
少年は少しだけ安心したような顔になり、先程より落ち着いた声音で話し始めた。

「それが、その現場を見たヤツもいて・・・そいつの話では、店に入って来たと思ったら、いきなり王の顔面蹴り飛ばしたってんですよ」

「はぁ!?」

予想だにしていなかったその内容に、今度はエンジの声音が大きくなる。
少年はまたも拙い事を言ったかとビクついたが、彼の表情が怒りではなく驚きである事に気付き話を続けた。

「しかも、それが女だったそうですよ」

「女だ?」

「えぇ、金髪で青い目で・・・・・かなりの美人だったそうで。黒いドレス着てたって」

と、不意に群集が騒がしくなる。
何事かと座っていた椅子から立ち上がり、視線を騒ぎの先に向ければ人の波の合間に金色が揺れたのが見えた。

「おい、その王を倒した女って・・・・金髪に黒いドレスだったよな?」

「え?あ、はい」

戸惑った様に答える少年も、ざわつく群集を呆然と見つめるだけ。
エンジは少年の答えを聞くと、手にしたグラスを置き騒ぎの中心へと向かって行った。
一瞬、周囲はシンと静まり皆彼と少女に視線を注ぐ。
揺れる金色が振り返り、それが縁取る冷たく澄んだ青い瞳とその身を包んだ黒いドレスがエンジの目に映った。

「っ・・・・・・!」

呑まれる。
一瞬にしてそう悟る。
その瞳の奥の計り知れない世界に取り込まれ、支配される。
見つめられているだけで跪きたくなるような、そんな錯覚に陥って息が苦しくなる様な気がした。

「見つけた・・・・その、赤い髪・・・・」

凛、と響く高くも無く低くも無いその声に誰も答える事が出来ない。
声を掛けられたエンジ自身でさえも。

「南の支配者・・・・名前は?」

「篠塚・・・エンジ・・・・」

南の支配者、と呼ばれてやっと現実に引き戻された。
少女がそれに気付いたのか、僅かに浮かべた微笑にまた魅了される。
黒いドレスの裾を揺らし、少女はテーブルに置かれたエンジのグラスを手に取り中身を飲み干した。
かなり強いアルコールだが、それを気にする事もなくグラスを戻し、再びエンジを見据えた。

「エンジ・・・私に従う気は無い?」

そう言われ、心の何処かで静かに本能が刺激される。
真の実力者だと一目で分かる者に出会え、支配されるか支配するかの選択を迫られた時に火が点くこの街独特の本能。
一気に惹き込まれたこの少女に支配されたいと言う思いと、平伏させたいと言う思いが重なり合い駆け巡る。

「それはつまり、今ここで俺と闘り合うって意味?」

「お望みなら」

少女は笑った。
ゆっくりと、それでも不敵に。
また、惹かれていく。

「で、テメェの名前は?」

「荵。多岐川荵」

その一言一言が、しっかりとエンジの心に刻み込まれていく。
周りの観衆を目で追い散らしてスペースを作り対峙する。
荵と名乗った少女はドレスの裾を静かに払い、エンジを見つめた。
その瞳が、スゥッと細められる。
ゾクリ、と背筋が震えるのが分かった。
これが運命だと言わず、何と言うのだろう。
きっと、今日の事はこの先忘れる事は無い。
そんな事は出来ない。
やっと本物の支配者に出会えたのだから。

女王 (クイーン) ・・・悪くないな」

そう呟き、エンジは床を蹴る。
赤い波と金の波が交わり、弾けた。











そしてそれが、今から2年前の話。



END





―――後書―――
五年越しにやっとこさ日の目を見たうちの子達です(ぇ)
いきなり過去話からでしたが、とりあえず楽しんで頂けたら幸いかと。
これからはこの5人+αで様々な騒動起こしますんで、どうぞ愛してやって下さいませ♪