今、この時を思い切り楽しめばいい。


『青春日和』


「あ、あれ小林先輩じゃね?」

 朝練前の軽いウォーミングアップのストレッチをしようとグラウンドに出てきた山崎の言葉に、靴紐と格闘していた西岡が顔を上げる。その台詞通り、用具倉庫近くの木の根元で気持ち良さそうな寝息を立てている小林の姿がそこにあった。朝練に遅れないようにと早目に来た二人だったが、小林はそれより前にここに来ていた事になる。一体何時からそこで寝ていたのだろうか。

「よくここで寝られるよな。この前も寝てたし」

 夏休みに入る少し前の部活時にも、小林がそこで寝ていた事を思い出した西岡が感心にも呆れにも取れるような苦笑を零す。団体競技である野球の、しかもピッチャーと言う要のポジションにある筈の彼のマイペースぶりは、顧問や監督をもってしてもお手上げと言わしめる程だ。聞いた話では、小林が入部した当時の先輩連中も一週間で匙を投げたと言う。

「でも、さすがにそろそろ起こさないと拙いよな。朝練も始まるし」

「おはようございます、西岡先輩。山崎先輩」

 こちらの気配に全く気付こうとしない小林をどうするべきかと悩んでる二人の背後から、元気な挨拶が寄越された。同時に振り返ると、洗濯を終えたばかりと思われる濡れたタオルを一杯に詰めた籠を抱えている小柄な河原が立っていた。
 河原は二人に小さな頭をペコリと下げて可愛らしく笑いかける。だが、その向こうに寝ている小林を見つけると「あー!」と驚いたような声を上げた。

「小林先輩、こんなトコに居たんですね!」

「え、何。小林先輩捜してたの?」

 少し怒ったような呆れたような口調の河原に、山崎が小首を傾げた。

「そうなんですよ、杉浦先輩が一緒に連れて来た筈なのにって。もう、杉浦先輩に毎回迷惑かけるなんて」

 誰よりも杉浦に懐いている河原は、そのマイペースさで毎回杉浦を振り回す小林に対しては少し手厳しい。
 抱えていた洗濯物を地面に下ろし、眠りこけている小林の肩を揺らして起こしにかかった。

「小林先輩、起きて下さい!また怒られちゃいますよ!」

 頭がガクガクと揺さぶられては、さすがの小林も小さく唸り夢から覚める。心地よい眠りを邪魔されて少し不機嫌そうに眼を開けると、丁度目が合った西岡を睨み付けた。 だが、睨み付けられた方はたまったものじゃない。西岡は慌てて目線を逸らし、山崎はそんな西岡を気の毒そうに笑う。

「そろそろみんな集合しますから、早く準備して下さいね?」

 ようやく覚醒し始めた小林に河原は「いいですね」と念を押し、置いていた洗濯籠を再び抱えて干し場へ向かった。小林はその背中を眺め、一つ大きく欠伸して身体を起こす。

「あー・・・何か俺、河原に嫌われてるよな?」

 嫌われる覚え無いけど、と首を傾げる小林に、山崎は再び苦笑をこぼした。マイペースなのは良いが、少し空気が読めてないのかもしれない。

「河原は杉浦先輩のファンですからね。それより、そろそろ準備始めないと本気でヤバイっすよ」

 そう忠告してウォーミングアップを始めた山崎と西岡を横目に見て、一度大きく伸びをする。そのまま見上げた空は、これ以上無いというくらいの晴天。日差しは既に痛いほどに強い。

(何で由姫のファンだと俺が嫌いなんだ?)

 先程の山崎の言葉に再び首を傾げながら、小林は「雨降らないかなー」と呟いた。
 しかしそう事が上手く運ぶ筈も無く、晴天の中で朝練は始まった。
 しかも、何故か朝練後に買出しに付き合わされる羽目になる。



「よーし、じゃあこれから自主練ー。キャッチボールとか走りこみとかイメージトレーニングとか座禅とか各自勝手にやってよし!ちなみにイメージトレーニングにはパワプロがお勧めでーす!パワプロやりてー!」

「とりあえず、後半は却下ね。みんな怪我しないように気を付けて自主錬に入る事!」

後半に余計な事を付け加えたキャプテンの新山に、杉浦がツッコミを入れたのを合図に朝練が終了する。却下された新山は「マネージャーが俺に冷てー!」と悲劇のヒーローのように嘆いている。
 そんな彼を綺麗に無視してそれぞれがキャッチボールや走り込みなどの自主トレーニングに移る中、小林は西岡と共に買出しの準備に向かうマネージャー二人の後について行った。
 何故西岡も連れて行かれているのかと言うと、小林が買出しの手伝いを杉浦に言い渡された時に「じゃあ西岡も一緒に」と巻き込んだからだ。しかも、杉浦はあっさりと許可した。
 確かに部活の買出しと言うと氷の大袋だったりスポーツ飲料だったり洗濯に使う洗剤類だったりと、女子が二人で持つには重過ぎる荷物ばかりなのだから、荷物を持つ係が多いのは助かる事だろう。
 だが、西岡にしてみれば迷惑以外の何者でもない。ついでに言えば、キャッチボールの相手を連れて行かれた山崎も迷惑だ。

「信じられねー、何で俺まで巻き込むんですかー!」

とぶーぶー文句たれ続ける西岡だが、河原の

「西岡先輩が手伝ってくれるなんて、とても心強いです」

の一言で、あっさりと機嫌を直した。結構単純な性格をしているのかもしれない。

「じゃ、行きますか。ちょっと荷物多いから、三人とも頑張ってね」

 顧問から必要経費を受け取ってカバンに入れた杉浦が買出しに出かけようと三人を促した。

「マネージャー!俺にプッチンプリン買ってきてー!プリンー!」

 悲劇のヒーローから立ち直ったらしい新山が、元気良く自分の要求を突きつける。だが、「却下!」とバッサリ切り捨てた杉浦に、再び泣き崩れた。部員達は完全に無視だ。
 そんな新山をほったらかしにしたまま近所のスーパーマーケットにやってきた四人は、店内の涼しさにホッと一息を吐いた。
 開店したばかりの店内は、早い時間と言う事もあり客の姿もまばらで、沢山の荷物を抱えて歩き回っても迷惑にはならないだろう。
 大型のカート二台を押しながら店内を巡る内に、カートの中はあっという間に荷物で一杯になってしまう。帰りはこの荷物を持って炎天下の中を歩かなければならないのかと考えると、小林と西岡は揃って溜息を吐く。
 そんな二人の心境を察したのか、杉浦はレジに向かっていたカートをUターンさせてアイス売り場へと向かった。キョトンとしたままついて来る三人に振り向き、

「みんなには内緒ね。特にキャプテンには」

と、悪戯っぽく笑ってみせる。そして、手頃なアイスを四つカートへと放り込み、再びレジへと向かう。

「やった!ありがとうございます!」

 小林は思わぬ労いに喜ぶ二人とその向こうでカートを押す杉浦をぼんやりと見つめながら、多分このアイスは自腹で払うつもりなんだろうと思いを巡らせた。彼女のこういうさりげない優しさは嫌いじゃない。
 その視線に気付いたのか、杉浦がこちらを振り向いた。目が合うと、先程して見せたようにニコッと笑う。
 やはり、嫌いじゃない。
 そう心中に呟き、小林はぷすっと唇を鳴らした。
 会計を済ませ、大量の荷物を袋に詰めていた河原がふと顔を上げて目の前の掲示物に気付く。そこに「夏祭り」の文字を見つけた途端、その顔がパッと輝き、側で同じく袋詰め作業をしていた杉浦の袖を引いた。

「先輩先輩。今日の夜に、近くの公園で夏祭りがあるみたいですよ」

 そう言われて杉浦も顔を上げると、そこには色彩鮮やかな文字と可愛らしいイラストで夏祭りの開催を知らせるポスターが貼られていた。そこには今日の日付と開催時間が記されている。

「夕方の5時からかぁ・・・部活が終わった後で行けるかもね」

「花火もあるんですって。私行きたいです!」

「そうね・・・」

 行きたいと強請る河原に、杉浦はうーんと小さく唸って考え込む。そんな女子二人を眺めつつ、早くアイス食べたいとぼんやり思う小林を振り返った杉浦はポスターを指差し、「行く?」と暗に尋ねた。
突然話を振られた小林は、良く考えないままに「あー・・・浴衣着る?」と微妙にポイントのずれた返事を返す。だが、それが逆に二人のテンションを上げてしまった。

「浴衣いいかも。どうせならみんなで行こうよ、私と河原は浴衣着て」

「わぁい!」

「陽も西岡も、ね?」

 さっきのずれた返答を肯定と取られた小林と、何故か人数に入れられてしまった西岡に同意を求めて笑う杉浦に、二人はノーと言えずに行く事が決まってしまった。内心「めんどくせー」と思う小林に対して、西岡は「マネージャー二人が浴衣着るの、何かいいなー」と妙な喜びを感じている。
 そんなこんなで夏祭り参加を計画しつつ、四人はスーパーマーケットを出た。
 ところが外は、先程までの晴天が嘘のように黒く厚い雨雲が垂れ込めている。遠くで雷光が煌くのも見えたので、グズグズしていると大雨に追われる事になるかもしれない。

「うわ・・・急に曇ってきたんですね。こりゃ早く帰った方がいいかも・・・」

「あー・・・俺さっき雨乞いしたからなー。祈りが届いたか?」

「アンタね・・・何バカな事・・・・」

 杉浦が呆れたように溜息を吐こうとした瞬間、周囲が一際明るくなったかと思えばドーンッ!と地面を震わせるような大音響が響き渡った。余りの眩しさと音量に、杉浦と河原は悲鳴を上げてしゃがみ込み、小林と西岡は「すげー」と感嘆の声を上げた。
 その後も何度か大きな雷音が響き渡り、その度に女子二人の肩がビクリと跳ね上がる。河原はともかく、杉浦もその気の強そうな外見に似合わず雷が苦手らしい。時折不安そうに空を見上げては、腕の中の大荷物を抱え直す。河原も杉浦の腕にしがみ付き、なるべく空を見ないように俯いて歩いている。流石に、すぐ横でそんなに怯えられては心配になってきた。

「・・・・平気?」

 また空を見上げた杉浦の顔を覗き込むようにして小林が尋ねる。杉浦は苦笑を浮かべて頷きかけるが、再び稲光が走り思わず首を竦めた。

(何か・・・・悪い事したかも・・・)

 苦手な雷のおかげですっかり気持ちが萎んでしまった杉浦と河原を見て、雨が降ればいいのにと思った事を少し反省した小林は、僅かなお詫びとばかりに空いていた方の手で杉浦の手を握った。
 ちなみに、西岡は完全に一人取り残されている。可哀想に。


 雨が落ち始める寸前にどうにか学校に辿り着いたものの、これ以上の練習は不可能な程に激しい雨が降り始めてしまった。
雨に追われた部員達は、それぞれに部室や用具倉庫の軒先に逃げ込み難を逃れる事が出来た。だが、その先にどうする事も出来なくなってしまい誰ともなく溜息を吐く。
 そんな中、何故か新山だけは元気ではしゃいでいた。台風が来ると妙にはしゃぎだす子供を時たま見かけるが、多分それと同じ類なのかもしれない。

「みんな!こういう時こそパワプロだ!パワプロでイメージトレーニングするぞー!」

 この人は一体どれだけパワプロ押しなんだろうか。身内に関係者でもいるのか。
 だが、当たり前ながらゲーム機も無ければテレビも無い。その事実に気付いた新山はまた嘆いている。先に気付いた方がいい。
 そんな新山を尻目に、杉浦はつまらなさそうに暗い空を睨み付けていた。苦手な雷は相変わらず鳴っているし、雨は止みそうな気配も無い。このままでは今日の練習はおろか、夜に行こうと決めた夏祭りも中止になるだろう。花火なんかはもっての外だ。

「せっかく浴衣着れると思ったのになぁ・・・」

 ぼやきながら溜息を吐く。
 そんな不貞腐れてる様子を眺めていた小林は、そっと傍に寄っていて隣に座った。杉浦は気付いているだろうが、目線は窓の外のまま動かない。よっぽど落ち込んでいるようだ。

「そんなに祭り行きたかった?」

 同じように窓の外を眺めながら尋ねる。

 杉浦は「んー・・・」と苦笑を零して、窓枠に組んだ両腕の上に顎を乗せた。高くなり始めた湿度で少し窓が曇っている。

「だって、最近部活でしか外出てないし。たまには遊びに行きたいなーって思っただけ」

 そう言って身体を起こし、一度大きく伸ばして立ち上がり小林を振り返った。

「ま、雨じゃしょうがないけどね」

 諦めた様に笑う杉浦に、小林はまた少し罪悪感を感じる。単に朝練が面倒だったが為に雨が降ればいいと思ったものの、まさか杉浦がここまで落ち込むとは思ってみなかった。

「あのさぁ・・・俺がまた『雨止めー』って念じたら、雨止むと思う?」

 気持ちを切り替えて室内トレーニングの準備を始めようとした杉浦は、突然尋ねられた質問の意図が掴めずにポカンとして小林を見るが、真剣に窓の外を見つめながらブツブツと何事か呟いてる彼の姿にさっきの言葉の意味を理解した。

「そうね、止ませる事が出来るなら凄いんじゃない?」

 頑張って、と笑った杉浦の顔を見て、小林は尚強く念じ始めた。正直、周りで見ている後輩達は怖がっている。異様なオーラでも出てるのかもしれない。
 そうこうしている内に十分が過ぎ、顧問の指示を仰いで戻ってきた杉浦が見たものは、完全にドン引きしている部員達の中心で延々と窓の外を睨み付けている小林の姿だった。
 余計な事を言ったかもしれない、と小林に声をかけようとしたその時、外の雨が弱まっている事に気付く。雷もいつの間にか止み、所々に雲の切れ間も見えている。

「お・・・お?おー、すげー。俺すげーかも」

 すでに晴れ間も差し始めた空に、すげーと繰り返しながら指を差す小林をみんな信じられないものを見るように遠巻きに眺めた。今まさに奇跡の瞬間を目撃している。

「ホントに晴れちゃったね・・・」

 窓の外を見て驚いてる杉浦だが、何処か嬉しそうな声色に戻っていた。

「よーし、じゃあ晴れた所で紅白戦やるぞー!準備しろ準備ー!」

 いつの間にか立ち直っていた新山が、珍しくまともに部員達をまとめ始めた。いつもこうならいいのに。
 部員達はみんな同じ事を思いながら、各々紅白戦の準備にグラウンドへと向かう。その様子を眺めながら、小林は「あ、やっぱめんどくせーかも」と、少しだけ悔やんでいた。


 カランコロンと下駄の涼しげな足音が響く。
 祭り独特の喧騒から離れた、小高い坂の上にある神社の境内を目指し、少し急ぎ足で上っていく六人の影。各々の手には祭りの出店で買った食べ物だったり玩具だったりお面だったりが握られている。
 人混みに逸れたり、物珍しさに立ち止まったり、その為に置いていかれたりと気苦労はあったが、それでもそれなりに祭りを楽しんでいた。

「金魚って食える?あ、育てりゃくえるかな」

 などととんでも無い事を周りに尋ねているのは、ご存知キャプテン・新山だ。家が小料理屋をやってる山崎に、金魚の美味しい料理をしつこく聞いてくる。正直ウザい。
 何故ここに新山と山崎がいるかと言うと、西岡がマネージャーの浴衣姿をネタに山崎を誘い、そこに何故かバナナを両手に乱入してきた新山が「自分も行きたい!絶対行く!『出店のゴルゴ』の称号を今年こそ!」と騒ぎ出したからだ。『出店のゴルゴ』の称号って何なんだろう。毎年そんな称号を授けてくれるエキセントリックな人達なんだろうか、この祭りの主催者達は。
 新山が『出店のゴルゴ』称号を手に出来たかどうかは別として、其々に祭りを楽しみ、ラストの花火を特等席で見る為に六人は境内へ向かう階段を上っていた。しかし、慣れない浴衣姿で長時間歩き回ったマネージャー二人には少し疲れが見え始めている。
 そこはこの周辺では一番高いらしく、町の灯りや祭りの喧騒が足元に遠ざかっていく。この分なら頂上に行かなくても十分に見えるかもしれない。
 二人を気遣い適当な石段に腰を下ろした時、目の前に色鮮やかな花火がパッと開いた。
 赤、青、緑、オレンジ、紫、黄色。

「綺麗・・・・」

 ぽつりと呟いた杉浦の横顔を見遣った時、打ち上がった花火の色がその笑顔を照らし出し、その髪に飾った簪を光らせて消える。小林は一つコクリと頷き、「綺麗」と口の中で呟いた。

「先輩先輩」
 河原が杉浦の袖を引き、何事かを耳打ちする。二人顔を見合わせて笑い、共に空を見上げて手を合わせた。

「明日の練習試合、勝てますように」

 二人が祈りの言葉を口にした瞬間、一際大きな花火が夜空に咲く。
 杉浦がこちらを振り向いて見せた笑顔が少し気恥ずかしく感じ、小林はぷくりと頬を膨らませる。

(明日は・・・まぁ、頑張ってもいいかも・・・)

 そう考えながら静かになった夜空を見上げると、ちょうど吹き始めた風がそこに残った白い煙を全て押し流して行った。

「でも・・・やっぱめんどくせー・・・」

 呟いた声は誰にも届かず、再び聞こえてきた祭りの音に掻き消された。


 バスンッ!と小気味の良い音を立てて、白球がキャッチャーミットに叩き付けられる。珍しく調子を上げた小林の投球に、打者の反応は全くついていけなかったようだ。

「バッターアウト!」

 ゲームセット!と審判が手を高く掲げ、試合の終了を告げる。
(明日は・・・やっぱ雨がいいな)

 ボンヤリと思いを巡らせ、小林は喜びに沸き立つチームメイトの待つベンチへと引き上げていった。

END





―――後書―――
学校の課題で書いた物です。
テーマが「スポーツ」だったので、私にしてはかなり珍しい普通(?)の青春ストーリーになってしまいました(笑)
気が向けば続き書きます。気が向けば←